2011年7月15日智積用水を見学に行きました。
江戸時代に菰野町から四日市市に越境して水が送られた用水です。
当時、水源をほかの村に渡すことはかなりの困難があったと思います。
水は、菰野町神森地区の蟹池の湧水を水源としています。
そして、金谷川に伏せ越し(逆サイホン)を敷設して、智積村に送水しています。
完全に伏せきれず、堰みたいになっています。
智積用水の詳しい経緯は、伏せ越し横の三十三間筒の脇の立て札に書いてあります。
立て札は智積村誌を引用しています。
「三十三間筒
<埋樋>神森村、桜村の界、金谷川底にして蟹川にあり。長三十間、竪二尺五寸、巾三尺。(付記)正徳元年(1711)松平越中守代官石原清右エ門官費を以て代替、長三十三間、内法三尺、其後石樋に換し前の数と改む。
江戸時代、智積東部は桑名藩松平家に属していたが、三滝川も金渓川(金谷川)も常水がなく灌漑用水にこまり、森(神森)の蟹池(伏流水)を水源とする蟹川に頼っていた。しかし、旱魃の年には水不足のため両村の間に水論が起こり、安永六年(1777)の訴訟問題は十年後の天明六年(1786)に解した。この結果、森村の用水の余分の水は残らず、埋樋(三十三間筒)を通して智積村へ流す約束ができた。・・・以下略」
とあります。
観光的には、近鉄湯の山線の桜駅から歩いて3分くらいの、西勝寺脇がとても整備されています。
西勝寺前の用水は、錦鯉なども泳いでいます。
すぐそばに、和菓子屋さんがあって休憩もできそうです。
余談ですが、西勝寺の石垣は野石の亀甲積というかなり気合の入った石垣です。
ほれぼれしますね。
石垣からお寺の格の高さが感じられます。
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