2011年10月2日日曜日

治水神社(岐阜)

江戸時代木曽三川治水工事の治水神社に行ってきました。 2011年9月24日


治水神社



宝暦治水という治水事業に携わった薩摩藩士平田靱負を祭神とする神社です。
木曽三川の治水工事に薩摩藩が関わったことは驚きですが、
工事自体がかなり過酷だったようで、感動しました。


宝暦治水自体は、治水事業としては不完全なものに終わったようです。
木曽三川の治水の完成は、治山をセットとして扱った明治の治水事業をまたなければなりません。
とはいうものの、宝暦治水で作られた締め切り堤(千本松)を見ると苦労がしのばれます。


神社は、檜皮ふきの美しい神社でした。社務所の方に宝暦治水のパンフレットをいただけます。
治水事業の業績は全うに評価されていたのか、明治の元勲といわれる人々の残り香も感じられます。
治水神社のもう少し南に、近代治水百年碑があります。
こちらには、デ・レーケと平田靱負の紹介があります。こちらもお勧めです。
治水神社のお隣に国営木曽三川公園があるので、駐車はこちらにすると良いかと思います。

2011年8月28日日曜日

津城(三重県)

とても近所の津城を見に行きました。
2011年8月27日です。

津城は、藤堂高虎築城とされますが、津市のHPを見ると織田信包が築城し、
いろいろあって、慶長年間に藤堂高虎が封ぜられたあと大改修をした城のようです。

津城の石垣は、
石材 花崗岩
雑割石の打込接
布積が基本のようです。

現在復元?されているのは、三重櫓で、もともとあった丑寅櫓とは違う外観のようです。
で、櫓の基礎になっている石垣を眺めていましたら、
津城の石垣にも刻印がありました。
上記の写真の石垣にも2つの刻印が確認できます。



このような刻印は特に複数の大名が関わった天下普請の城に多いそうです。
とはいうものの、多くの城で確認されているものです。
津城にもあると、刻印探しも面白くなります。

さて、三重櫓の乗っている石垣の本丸側法面にもいくつかあります。
津城は「三」と「丸大」が良く見られます。「こ」もその次くらいにあります。
「こ」は「月マーク」かもしれません。

丑寅櫓から本丸をはさんで反対側の、西鉄門虎口の石垣にも、いくつかあります。
上に記したもの以外に、

こちらのほうが種類が豊富です。
ざっとみた感じでこのようなものでしたので、もう少し詳しく見たらまだまだあるかもしれません。
面白いことは、刻印は北側石垣にしか見受けられず、ほかの方角の法面には無いようです。

折角近くに住んでいるので、少しずつ調査してみようと思いました。


2011年8月22日月曜日

琵琶湖疏水(京都)

三重から京都に遊びに行くとき、パークアンドライドを利用します。
滋賀の琵琶湖畔浜大津駅に車を止めて、京都市営地下鉄で行くとお得です。
一日駐車券がなんと500円なのです。
それで、浜大津駅から京都東山へ抜ける道は、琵琶湖疏水と並行して走っています。

2011年4月2日、家族に動物園に行こうと言って京都市営動物園を目指しました。
折角京都に来んだからと、南禅寺や霊鑑寺(4月の特別拝観)も周りました。
個人的には、琵琶湖疏水ツアーです。

蹴上で下車して、南禅寺に向かいます。
蹴上のインクラインに沿って歩くと南禅寺方面に抜けるトンネルがあります。
ここに「想奇観雄」という石額が埋め込んであります。
マイナーですが、これは第3代京都府知事(北垣国道)の揮毫によるものです。
北垣国道は琵琶湖疏水を計画した人です。
「想奇観雄」:優れた眺め、奇抜な発想
京都に対する気持ちのこもった4字熟語です。
このトンネルは、通るときに少し不思議な感覚になります。壁の模様が斜めなので、、、。

南禅寺では、水路閣を見ました。

基本です。

その後、哲学の道を通って霊鑑寺に椿を見に行きましたが、琵琶湖疏水沿いです。

 桜が綺麗でした。霊鑑寺の特別拝観は椿が好きな人にはオススメです。

さて、動物園にいけば、インクラインを下から見るのにちょうどいい場所がありました。
動物園に入らなければ気づきませんでした。
琵琶湖疏水記念館など取りこぼしはたくさんありましたが、これはこれで良い観光でした。

2011年8月18日木曜日

智積養水(三重)

2011年7月15日智積用水を見学に行きました。

江戸時代に菰野町から四日市市に越境して水が送られた用水です。
当時、水源をほかの村に渡すことはかなりの困難があったと思います。

水は、菰野町神森地区の蟹池の湧水を水源としています。



そして、金谷川に伏せ越し(逆サイホン)を敷設して、智積村に送水しています。

完全に伏せきれず、堰みたいになっています。

智積用水の詳しい経緯は、伏せ越し横の三十三間筒の脇の立て札に書いてあります。
立て札は智積村誌を引用しています。
「三十三間筒
<埋樋>神森村、桜村の界、金谷川底にして蟹川にあり。長三十間、竪二尺五寸、巾三尺。(付記)正徳元年(1711)松平越中守代官石原清右エ門官費を以て代替、長三十三間、内法三尺、其後石樋に換し前の数と改む。
江戸時代、智積東部は桑名藩松平家に属していたが、三滝川も金渓川(金谷川)も常水がなく灌漑用水にこまり、森(神森)の蟹池(伏流水)を水源とする蟹川に頼っていた。しかし、旱魃の年には水不足のため両村の間に水論が起こり、安永六年(1777)の訴訟問題は十年後の天明六年(1786)に解した。この結果、森村の用水の余分の水は残らず、埋樋(三十三間筒)を通して智積村へ流す約束ができた。・・・以下略」
とあります。

観光的には、近鉄湯の山線の桜駅から歩いて3分くらいの、西勝寺脇がとても整備されています。







西勝寺前の用水は、錦鯉なども泳いでいます。
すぐそばに、和菓子屋さんがあって休憩もできそうです。


余談ですが、西勝寺の石垣は野石の亀甲積というかなり気合の入った石垣です。
ほれぼれしますね。
石垣からお寺の格の高さが感じられます。

2011年8月16日火曜日

平子池(三重・津市一身田上津部田)

津市ため池めぐり

新池と親子池関係の平子池。
2011年6月22日
平子池はなんと貯水池内に水田があります。
貯水池上流側は浅くて芦原になっていて、右岸側に水田があるのです。


右岸側からみると田面が右手の堤体天端より低いのがよくわかります。
左岸側の芦原では、キレイな声の鳥が鳴いていました。
貴重な湿地の生態系空間を作り出しているようです。

堤体は長く両側に斜樋があり、両側から取水しているようでした。
両側に洪水吐があるのも特徴的です。
こんな教科書的でない構造を見るのも、ため池めぐりの楽しみのひとつです。

池にはブラックバスがいるらしく、看板が立ててありました。
商業用の池以外では、外来魚の放流はやめて欲しいものです。
ため池は地域の人に大切にされています。

新池(三重県津市一身田上津部)

津市ため池めぐり
三重県は尾鷲など多雨のイメージですが、津市は意外と雨が少なく、ため池地帯です。
現役のため池も多く、ため池めぐりはとても楽しいです。

2011年6月22日新池に行きました。
新池は志登茂川支流の水源地です。
すぐしたの平子池と親子池の関係です。(新池が上流)
津市のため池には、ほぼ100%記念碑か祠があります。
ここには嵩上げ記念の記念碑がありました。

側水路型の洪水吐が立派ですが、左岸の地山側に作っていないのがさすがため池。

雨の次の日に行ったのですが、堤体下流部に滲み出している水が少し気になりました。


安濃川第一頭首工(三重・安濃川)

安濃ダムを見に行ったついでに、安濃川第一頭首工を見てきました。
2011年2月6日

安濃川第一頭首工は、安濃ダムが作られたとき(国営中勢用水土地改良事業)に、
それまで安濃川にあった小さな頭首工を合口して作られた頭首工のうちのひとつです。







安濃川第一頭首工は、固定堰、可動堰兼土砂吐タイプの頭首工です。
ただ、この魚道は、、、エプロン下部の段差を解消しなければいけないのではないでしょうか?
ゲートはスライドゲートです。

シンプルな形状の堰で可愛らしいです。
近くに記念碑が立っています。土地改良事業は、地元との関わりが強い事業ですので
モニュメントでしっかりアピールしていていいと思います。